椎の木湖とともに   大山 修一
 

第八話 心意気の経営を目指して

私が社長になって、肩書きと責任の重さが変わっただけで、日常には何の変化もなかった。それまで通りのペースで働き、周囲の従業員も、お客様も、相変わらず私を”支配人”と呼んだ。

以前に、ホームページの掲示板に、”経営者なのに、何故皆んなは支配人と呼ぶのですか?”という質問をいただいたことがある。この地での私のはじまりが、ゴルフ練習場の支配人としてであったため、多くの方々がこの呼名に慣れ親しんでいて下さったからだが、私自身、社長と呼ばれるより、支配人と呼ばれる方が好きだった。支配という言葉自体は、やや横暴な感じがするが、私はむしろ、支配人というのは”気配りをして、周囲を支える人”という意味合いで捉えていたので、”社の長”という社長と呼ばれるより、ずっと感情的に受け入れ易かった。

このように、私の日常仕事には何の変哲もなかったが、後から振り返ってみれば、この頃より、私は、自分なりに、より将来を見つめた経営を模索し始めたように思える。

ゴルフ練習場を含めて、ここの全てのお客様にもっと快適に、もっと満足していただけるには、そして何よりももっと楽しんでいただけるには何が必要か?何をすべきか?と思案した。この答えを追い求めていくことが、 あくまでも自分の経営において可能な範囲でではあるが、将来に繋がる事と信じた。私は人一倍不器用で、その上、20代の特殊な環境の所為で、社会性に欠ける部分があることは、自他ともによく承知している。だから、豊富な知識や経験に基づいた経営方針などという複雑なことは考え難い。私は、単純に、自分の心意気を表す経営を目指すことにした。

まず、毎月第二金曜日に行われる”フライデ−オープン”やいくつかのイベントはすでに始められていたが、更に季節ごとに楽しんでいただける大会や催しを充実させていくことに力を注いだ。

お陰で、フライデ−オープンはすっかりお客様の間で浸透し、平日の金曜日にもかかわらず、いつも多くのご参加をいただけるようになってきた。他のイベントも、各釣り関連メーカー(マルキュー・ダイワ・シミズなど)のご協力の下、毎年固定して開催させていただいて好評を博してきたり、大会ではなく賞品もないのに、納涼祭など、年々、より多くの皆様が参加してくださるようになっていった。

椎の木湖の二大大会である”椎の木湖杯”と”フレンドシップ選手権”は、他のイベントとは違って、厳正な規則の下、実力を試される競技として考案した。ウキ・タナ規定なども厳しく、競技中は審判員が巡回し、スレ取りなど厳しくチェックされる。上位入賞者には、名誉としてトロフィーが授与され、クラブハウス内に、一年間その名前と写真が飾られる。また、当湖よりの賞品の外に協賛各社より多くの品物が贈られる。毎年、悲喜こもごものドラマがあり、私自身も大変に楽しみにしている大会である。今年も、今年の椎の木湖杯はすでに4月27日(土)に終了したが、フレンドシップ選手権の方は、この10月26日(土)に行われる。

また、私は、快適なアミューズメント プレイスを目指して、環境の整備にもより一層努めるようになった。まず、清潔で、きれいな場とするために、清掃にかかわる人員を増やした。そして、一人一人に、自分が客になったつもりで、その目線で仕事をしてもらいたい旨を強調した。きっと、良い人々が集まってくれたのだろう。年々私の意を汲んで、時にはそれ以上に、丁寧な仕事をしてくれるようになっている。(これは、私一人の自負であるかも知れないが...。)

その一方、将来に期待してやってきたことでも、まだまだ実りの少ないこともある。毎年、学校の長期休暇中に、学生割引(小・中学生無料、高校生千円)を実施しているが、どうも反響が鈍い。いまどきの子供達にとっては、釣り自体が身近でもなく、興味の対象にはなり難いのかも知れないし、土日・祝日とイベント日には実施できないことも難点であろう。それでも、なんとか子供たちに、一遍でいいから釣りの楽しさを味わわせてやれないものかとやってきたのだが...。 結果は、芳しくない。

しかし、現在は、”たとえ、たった一人の子供にでも釣りの楽しさを知ってもらえたら本望”という心意気で、めげずに、謙虚に続けていきたい、と思っている。

(メルマガ椎の木湖2002年10月号原文掲載)

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